
恋愛相談を読んでいたら、じぶんの恥ずかしいという気持ちに足をとられて、恋愛がうまくいかない女子の多さに驚かされます。たとえば彼をデートに誘うのが恥ずかしいとか。
■女子の「恥ずかしい」って、男子にとっては最大の恐怖です
女子が言う恥ずかしいって、男子にしてみたらどうすることもできないものだったりします。それこそが最大の恐怖です。
極端にしてわかりやすい例を挙げるなら、「恥ずかしいからハダカになりたくない」とか「恥ずかしいから、洋服の上から触るのはOKだけど、それは上だけ限定で(つまりおっぱいだけ)」なんて言われた日には、男子はもうどうしていいかわからなくなるわけです。
こういうのって、ごくふつうに解釈すれば第二次性徴特有の恥じらい、ということになるのでしょうか。つまりある意味本能的に、生理的に恥ずかしいと感じているのであって、その気持ちを掘っていっても、恥ずかしがっている本人も、なにが恥ずかしいのか、よくわからないとか。
男子だって恥ずかしさを持っています。恥ずかしいから好きな女子にいつまでも告白できず、気がついたら彼女はほかの男子とつきあっていた、なんてことは、すごくありがちなパターンでしょ?
■恋のポイントはそこですよ、そこ

一般的には、男女問わず誰だって好きな人に対して、大なり小なり恥じらいを持つのだろうと思います。そしてこれまた一般的には、恋の恥ずかしさは、男子が乗り越えて女子を導くもの、とされていますよね。
でもこういうのって、男女に関係なく、つまり人間として「恥ずかしさをみずから超えないと、達成できないことがある」という、すごく単純なことだったりもするのでは?
恥ずかしさを乗り越えて真剣にならないと成就しないことって、恋愛以外でもたくさんありますよね。たとえば留学したことがある人はわかると思いますが、英語をしゃべるのが恥ずかしいと思ってホームステイ先の家族としゃべらないと、そもそも話が始まらないってことでしょ?
勇気を出してつたない英語を話すことによって、有意義な時間を過ごすことができる、ということでしょ?
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「恥ずかしい」という感情にまつわる恋愛相談って、思いのほか多いのですが、それってホントはじぶんで乗り越えないと!乗り越えるというのは、おそらく真剣にやるというのと同義です。
ふだんの生活で、わたしたちは「そこまで」真剣にやることって、あまりなかったりしますよね?毎日の仕事だって、ふつうに真剣にやっている人は大勢いますが、恥をかくかもしれないという不安と背中合わせで真剣に仕事している人って、あまりいないでしょ?
でも恋のポイントはきっとそこですよ、そこ。恥をかくのと隣り合わせで真剣にやる瞬間をいくつか持つこと。恋が成就した人に話を聞いていたら、おそらくみなさん、真剣になる瞬間があったはずなんです。
おっぱいに関する恥ずかしいなんて気持ちは、高校生のうちに卒業して、オトナになったら真剣になる瞬間をじぶんで作らないと、せっかくのチャンスをふいにしちゃうのではないですか?(ひとみしょう/文筆家)