
彼女の手料理に文句ばかり言っていた俺が、母の味の正体を言えなかった理由
空になった箱が、俺の茶碗の横に置かれていました。彼女が誰に聞いたのかは、聞かなくてもわかりました。俺が隠していた母の味を、彼女も知っていたのです。
母が働きながら作ってくれた味
俺は母と2人で育ちました。母はパートを2つ掛け持ちしていて、帰ってくるとそのまま台所に立ちました。鍋に肉と野菜を入れて、引き出しの箱から出した粉を振り、煮えるまでの間に洗濯物をたたむ。それが俺の家の肉じゃがでした。味噌汁のだしや、ほかの煮物に使う調味料も、その引き出しに並んでいました。それを恥ずかしいと思ったのは、中学に上がって友人の家で夕食をごちそうになったときです。彼女と暮らし始めて、彼女が毎回だしを引くところから作ってくれるのを見て、俺は素直に喜べませんでした。
「違う」と言い続けた本当の理由
「俺の母親の味と違う」その言葉が口から出るのは、いつも1口目でした。違うと言い続けたのは、俺が比べていたものが、彼女のものより手間のかかっていない味だったからです。「わかんないけど、なんか違う」どこが違うか聞かれても、そう答えるしかありませんでした。箱の名前を言えば、忙しい中で作ってくれた母の料理まで、市販のもので済ませていたと思われる気がしたのです。それが自分の弱さだったと、今なら分かります。彼女の手間を「違う」の一言で片付けておけば、自分の家のことを打ち明けなくて済みました。