
「これも孫のためよ」親戚の前で嫁を指導し続けた私→孫の”ひと言”で、自分の言葉が返ってきた
取り分けた煮物の小鉢を嫁の前に置きながら、私はいつものように口を開きました。親戚が顔をそろえる席は、嫁にものを教えるいい機会だと、信じて疑っていなかったのです。けれど、その日の集まりは、思いがけない形で終わることになりました。
よかれと思って口にした言葉
親戚が顔をそろえる食事の席は、嫁にものを教える数少ない機会だと思っていました。その日も、孫が食卓で少しはしゃいだのをきっかけに、私は嫁へ向けて言いました。「育て方が悪いのよ」。親戚の手前、はっきり言っておくのが本人のためだと信じていたのです。私自身、若い頃は姑から同じように厳しくされ、人前で何度も恥をかかされてきました。あのおかげで自分はしっかりしたのだと、ずっと思ってきたのです。だから嫁にも同じように、と。今思えば、それは言い訳だったのかもしれません。
「これも孫のためよ」
私は決まって、こう付け加えていました。「これも孫のためよ」。嫁が少しうつむくのを見ても、必要なことだと自分に言い聞かせていました。その一方で、孫のことは目に入れても痛くないほど可愛く、会うたびに「誰かをいじわるしちゃダメよ」と言い聞かせてきました。優しい子に育ってほしい。その思いは本物です。けれど、自分が嫁にしていることが、その教えとどれほど食い違っていたか。隣で大人を見上げる孫の目に、私はまるで気づいていませんでした。