
孫の絵を「下手だね」と言えた俺は、自分も絵を捨てた人間だった
孫に「下手だね」と言ったことを、俺は後悔していませんでした。思ってもいないお世辞を言うほうが不誠実だ。そう信じていた俺の足元が揺らいだのは、美術展の会場でした。
嘘はつかない主義
孫が「おじいちゃん、描いたの」と画用紙を差し出してきました。家族の絵だそうですが、形も色もばらばらで、何を描いたのかすぐにはわかりませんでした。
「こんな絵、下手だね」。口をついて出た言葉に、嫁がこわばった顔をしたのは気づいていました。それでも、思ってもいないことを言うほうがよほど不誠実だと、俺はそう考えてきた人間です。上手くないものを上手いと言って、何になるのか。
開けられない箱
数週間後、息子から電話がありました。「娘が絵を描かなくなった。おやじのせいだよ」。俺は「本気で描きたいなら、あの程度で折れないだろう」と返しました。
電話を切ったあと、押し入れの奥にある箱のことが頭をよぎりました。中には、俺が中学の頃に描いた水彩画が入っています。美術部の顧問に「才能がない。趣味にとどめなさい」と言われた翌日から、二度と開けていない箱です。本気だったのに、たった一言で折れた俺が言えた台詞ではなかったのかもしれません。